超えるべきは過去の自分、 認めてもらうべきは未来の自分

例えば、登山家の目的は、
山の頂上にたどり着くこと。
その途中時点では、達成感を感じないし、
あくまで通過時点の富士山の7合目とかで
褒められても、まぁ嬉しくないですよね。
 
 
誰かに褒められたり、
認めてもらったところで、
そのときは嬉しいかもしれないけど、
悲しいことに、何も変わらないのだ・・・。
 
 
本当は認めてもらうためじゃない、
あくまで頂上にたどり着きたいから
登っているはず。つまり、
自分のためだと思うんですよね。
 
認めてもらおう、という気持ちが強すぎると、
私たちはときには本来の目的を失い、
余計に悩むことになる。
 
それを放すと、身軽になれて、
頂上と自分の足元だけを見つめて、
登ることに集中できる。
もっと冷静に、理性的に自分と
向き合うようになるんじゃないかなと。
とにかく、物事は本当はシンプル。
だから、身軽のほうが楽だと思うんだ。
 
 
超えるべきは、過去の自分、
認めてもらうべきは未来の自分。
 
しかし、人間はなぜ「承認欲求」があるのか?
この問いをちょっと真剣に考えています。
承認欲求は生まれながら人間は持っているかどうか、
それは少し置いといて、
 
承認欲求を育てているものがあるんですよね。
 
 
これについては、またあらためて!!ww
(ここ気になるところww)


また書こうと思います!!


では^ ^
 

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